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ミカエル・プセロス


視点: 歴史 / 哲学 / 西洋魔術
テーマ: 悪魔

概要

ミカエル・プセロス(Michael Psellos、洗礼名コンスタンティノス、1018年頃-1078年頃)は、11世紀ビザンツ帝国の学者・宮廷官僚・修道士。コンスタンティノープル大学で「哲学者たちの長(ヒュパトス・トーン・フィロソフォーン)」の称号を得た当代随一の博学者で、歴史書『年代記(クロノグラフィア)』の著者として知られる。後世、悪魔の分類を論じた『悪魔の働きについて(De Operatione Daemonum)』の著者ともされてきたが、この帰属には近年の文献学研究から疑義が呈されている。

修道士姿のミカエル・プセロスと皇帝ミカエル7世ドゥーカスを描いた写本細密画
ミカエル・プセロスと皇帝ミカエル7世ドゥーカス(写本細密画、パントクラトール修道院蔵、写本234番 f.245a、12-13世紀)。Public domain, via Wikimedia Commons

歴史

1018年頃コンスタンティノープルに生まれ、洗礼名をコンスタンティノスといった。地方裁判官の書記などを経て宮廷書記官となり、コンスタンティノス9世モノマコス帝(在位1042-1055年)のもとで政治顧問として重用された。同時期、改革された大学で哲学を講じ、「哲学者たちの長」の称号を得たが、アリストテレスよりもプラトンを重んじる姿勢は保守的な聖職者層との軋轢を生んだ。1054年頃、モノマコス帝の治世末に修道院入りし、修道名ミカエルを名乗った(以後この名で知られる)。以後も歴代皇帝の政治顧問として影響力を保ち続けた。主著『年代記(クロノグラフィア)』は976年から1078年に至るビザンツ帝国の皇帝群像を描いた歴史書で、当時の宮廷政治を知る一次史料として高く評価されている。このほか書簡・修辞学論・哲学論・錬金術論・医学論・天文学論・詩など極めて広範な著作を残した。没年は1078年頃とする説が有力だが、1096年まで存命だったとする説も学術的に維持されている。

各伝統における意味

ビザンツにおける新プラトン主義の復興

プセロスは、当時のビザンツ教会内で軽視されがちだったプラトン研究を積極的に推進し、新プラトン主義(新プラトン主義)の思想をキリスト教神学と統合しようと試みた。この姿勢はしばしば異教への傾倒を疑われる原因ともなったが、後世のビザンツ知識人に大きな影響を残した。

『悪魔の働きについて』と「偽プセロス」問題

プセロスの著作としてしばしば紹介される『悪魔の働きについて(De Operatione Daemonum)』は、ティモテオスとトラキア人という2人の対話者による問答形式で、悪魔を火・空気・大地・水・地下・光を避けるものの6種に分類する体系を論じた文献で、後世の西洋悪魔学に大きな影響を与えた。しかし、この文献の帰属については、20世紀後半の文献学研究(P. ゴーティエによる1980年の論文)が、文体・内容の分析から11世紀のプセロス本人の真作ではなく、13世紀末から14世紀初頭に書かれた後世の擬作である可能性を指摘しており、研究者の間では「偽プセロス(Pseudo-Psellos)」と呼ばれることも多い。この帰属問題は決着した定説ではなく、現在も学術的に未解決の論点である点に注意が必要である。

フィチーノによるラテン語訳とルネサンスへの伝播

ルネサンス期、マルシリオ・フィチーノ(マルシリオ・フィチーノ)は『ヘルメス文書』やプラトン全集のラテン語訳と並行して、この(真偽未確定の)プセロス作とされる悪魔学書もラテン語に翻訳した。これにより、ビザンツに由来するとされた悪魔分類の体系が西欧ルネサンスの魔術思想に伝えられることとなった。

哲学

新プラトン主義とキリスト教神学の統合を試みた姿勢は、後のビザンツ知識人による古典復興の先駆けとして哲学史上重要視される。

現代文化

『年代記(クロノグラフィア)』は、現在もビザンツ帝国11世紀史研究における基本史料の一つとして参照され続けている。

関連ノード

参考文献

関連ノード(発見の質でグループ化)

隣接の発見