辞典 / 伝統・思想体系

ドルイド


視点: 宗教 / 歴史 / 神話 / 現代文化
テーマ: なし

概要

ドルイド(Druid)は、古代ケルト人社会、特にガリアとブリテン島に存在した知識人・祭司階級の呼称である。古典期ローマの著述家、特にユリウス・カエサルの記述によって西洋世界に広く知られるようになったが、その実像の多くは古典側の限られた記録を通してしか伝わっておらず、ドルイド自身による文字史料はほぼ存在しない。18世紀以降のブリテンでは、この乏しい史実を土台に、大幅な脚色を伴う「ドルイド復興運動」が展開され、現在ポピュラーカルチャーで流通するドルイド像の多くはこの近代の再創造に由来する。

歴史

古典期ローマの記録に見るドルイド

ドルイドについて最も詳細な同時代記録を残したのは、ガリア征服(紀元前58年-前50年)を指揮したユリウス・カエサルである。カエサルは『ガリア戦記』第6巻で、ドルイドをガリア社会における祭司・裁判官・学者を兼ねた特権階級として描写し、公私の紛争の裁定、若者への教育(自然哲学・天文学・神々の伝承などを口頭で伝授し、時に20年に及んだという)、そして人身供犠の管理を担っていたと記す。ただしカエサル自身の記述は、彼に先立つポセイドニオスら他の著述家の伝聞に基づく部分が大きいとされ、ガリア征服を正当化する政治的文脈の中で書かれた側面も研究者から指摘されている。

人身供犠については、カエサルは巨大な柳細工の人形に生きた人間を詰めて焼いたと記しているが、この記述がどこまで実際の慣習を反映しているか、あるいはローマ側による「野蛮な異民族」というステレオタイプ的描写かについては、現在も議論が続いている。

中世ケルト語文献における位置づけ

アイルランドでは、中世に成立したアイルランド語の英雄譚・神話文学の中に、ドルイド(アイルランド語で draoi)が予言者・魔術師的な人物として登場する。ただしこれらの文献は、ドルイドが実際に活動していたとされる時代よりはるか後代(概ね8世紀以降)にキリスト教徒の写字生によって記録されたものであり、史実としての古代ドルイドの姿というより、中世アイルランド文学における文学的形象として扱う必要がある。

ローマ支配とドルイドの消滅

ローマ帝国は、ガリア・ブリテン島の属州化を進める過程でドルイドの活動を禁圧し、1世紀までにドルイドという制度は歴史の表舞台から姿を消したとされる。

各伝統における意味

18世紀のドルイド復興運動

18世紀イングランドの好古家ウィリアム・ステュークリー(1687年-1765年)は、ストーンヘンジをはじめとする巨石建造物をドルイドの神殿であったと主張し、著作を通じてこの説を広く定着させた。しかし現在の考古学では、ストーンヘンジの主要な建造年代は紀元前2500年頃までに遡り、ドルイドが歴史記録に現れる時代(紀元前1世紀)より2000年以上先行することが判明しており、両者を直接結びつけるステュークリーの説には考古学的根拠がない。

1781年、ロンドンで「古代ドルイド教団(Ancient Order of Druids)」が、フリーメイソンに類する友愛的結社として設立された。これは近代における組織的なドルイド結社としては最初期の確実な記録を持つものとされる。

ウェールズの詩人エドワード・ウィリアムズは、「イオロ・モルガンウグ」の名で18世紀末から19世紀初頭にかけて独自の「吟遊詩人集会(ゴルセッズ)」の儀礼を創作し、ウェールズの伝統的な詩歌競技会アイステズヴォッドに組み込むことに成功した。彼の著作『バルダス』は、後世の研究によって、古代の伝承ではなく彼自身による大部分が創作であることが明らかにされている。

現代のネオ・ドルイド主義

20世紀後半以降、上記の近代的再創造を土台としつつ、現代異教主義(ネオペイガニズム)の潮流と結びついた「ネオ・ドルイド主義」が発展し、季節の祭礼を中心とした宗教的実践として現在も継続している。

現代文化

「森の賢者」「魔法使い」としてのドルイド像は、ファンタジー文学・ロールプレイングゲームなどの創作物に広く取り入れられているが、これらの多くは古代の史料よりも、18世紀以降の復興運動が作り上げたイメージに直接由来する。

関連ノード

参考文献

関連ノード(発見の質でグループ化)

対比の発見

隣接の発見