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ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ


視点: 西洋魔術 / 歴史 / 哲学
テーマ: ヘルメス思想 / 占術

概要

ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ(Giambattista della Porta、1535年-1615年)は、ナポリ王国出身のルネサンス期イタリアの博学者・劇作家。自然界の隠れた力を扱う自然魔術の集大成『自然魔術(Magia Naturalis)』(初版1558年、増補版1589年)と、観相学の体系書『人間観相学四書(De Humana Physiognomonia libri IIII)』(1586年)の著者として知られる。私設の学術サークル「アカデミア・デイ・セグレーティ(秘密の学会)」を主宰し、後に近代科学結社の先駆とされるアカデミア・デイ・リンチェイの再興(1610年)にも参加した。

ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタの肖像版画
作者不詳『ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ肖像』(線画版画、1688年、Wellcome Collection所蔵)。Public domain, via Wikimedia Commons

歴史

1535年、ナポリ近郊のヴィコ・エクエンセに生まれた(生年については1535年頃とする史料もある)。独学で自然哲学・数学・光学を修め、1558年、23歳前後で『自然魔術』全4巻をナポリで刊行、隠れた「共感」と「反感」の連鎖によって自然現象を説明する当時の自然魔術思想を集大成した。同書は1589年に全20巻へと大幅に増補され、光学実験(レンズ・カメラ・オブスクラの記述を含む)など、経験的な観察・実験の記録も多く盛り込まれた。

1560年頃、自宅を拠点に私設の学術サークル「アカデミア・デイ・セグレーティ(秘密の学会、Accademia dei Segreti)」を主宰した。入会には、世界について誰も知らない新事実を一つ発見していることが条件とされたと伝えられる。しかし1578年頃、オカルト的な事柄への関与を疑われて異端審問所の調査を受け、同会は解散に追い込まれた。1586年には観相学の集大成『人間観相学四書』を、1591年には手相を扱う『手相学(Coelestis Physiognomonia)』を刊行しているが、1592年には教会当局によって著作の新規出版が禁じられ、この禁令は1598年まで解かれなかった。晩年の1610年、デッラ・ポルタはローマで再興されたアカデミア・デイ・リンチェイ(山猫学会)に創立メンバーの一人として名を連ねている。1615年、ナポリで死去した。

各伝統における意味

自然魔術とアグリッパからの影響・逸脱

デッラ・ポルタの『自然魔術』は、ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ(ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ)の『オカルト哲学三巻書』(1533年)を明示的に参照しており、自然界の事物同士に内在する「共感」「反感」の連鎖を操作するという自然魔術(自然魔術)の基本枠組みを継承している。ただし両者の間には重要な違いがある。アグリッパが数の力を天使やカバラ的な超自然的次元と結び付けたのに対し、デッラ・ポルタはこうした宗教的・カバラ的要素を自らの体系からおおむね排除し、数や事物の対応関係をあくまで物理的・数学的な相関として捉え直した。デッラ・ポルタの魔術は、精神の陶冶や神的存在との交感を目指すものというより、化学・機械学と結び付いた、対象を実際に操作するための実践的技術という性格を強く帯びている。

観相学の体系化

『人間観相学四書』(1586年)は、人間の顔と動物の顔を並置した図版85点を用い、身体的特徴と道徳的性質との対応関係を説明しようとした著作である(観相学)。動物との類似から性格を類推する手法は古代の擬アリストテレス『観相学』に遡る伝統を継承するものだが、デッラ・ポルタはこれを体系的な図版とともに近世的な「学問」として大きく発展させ、後続世代の絵画・演劇・文学における人物描写の作法にまで影響を及ぼした。

近代科学前史としての位置づけ

『自然魔術』は光学実験の記録と伝統的な魔術的言説とが未分化のまま同居する著作であり、科学史研究では、経験的観察・実験を重視する態度が近代科学の方法論へと形成されていく過程を示す資料として扱われる。デッラ・ポルタが主宰したアカデミア・デイ・セグレーティは、印刷物として残る記録という点では、近代的な学術結社の最初期の先駆例の一つに数えられている。

関連ノード

参考文献

関連ノード(発見の質でグループ化)

由来の発見

隣接の発見