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ヨハネス・トリテミウス


視点: 西洋魔術 / ヘルメス思想 / 歴史 / 言語学(語源)
テーマ: ヘルメス思想 / 西洋魔術

概要

ヨハネス・トリテミウス(Johannes Trithemius、本名ヨハン・ハイデンベルク、1462年-1516年)は、ドイツの神聖ローマ帝国出身のベネディクト会修道院長・人文主義者。表向きは天使を介した魔術書、内実は高度な暗号通信の体系書という二重の性格を持つ『ステガノグラフィア(Steganographia)』の著者として知られ、後世「近代暗号学・書誌学の祖」と評される。ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパとパラケルススという、ルネサンス期を代表する二人のオカルト思想家・医師の師としても知られる。

ヨハネス・トリテミウスの肖像(作者不詳の版画に基づく肖像)
作者不詳『ヨハネス・トリテミウスの肖像』(Tripotaデータベース、トリーア市立図書館・文書館蔵)。Public domain, via Wikimedia Commons

歴史

1462年、トリーア選帝侯領トリッテンハイムに生まれた。青年期に吹雪に見舞われてシュポンハイムのベネディクト会修道院に一時避難したことを機にそのまま修道生活に入り、21歳という異例の若さで同修道院の院長に選出された。院長として学問と蔵書の充実に力を注ぎ、シュポンハイム修道院を当時有数の図書館を擁する学問の拠点へと育て上げた。

1499年頃、後に彼の代表作となる『ステガノグラフィア』の執筆に着手した。同書は表面上、精霊や天使を介して遠隔地に思念を伝える魔術書という体裁を取っていたが、実際には暗号化・復号の具体的な手順を記した実用的な暗号術の解説書であった(詳細は暗号術を参照)。この魔術的な体裁のために、フランスの哲学者シャルル・ド・ボヴェルからは、正体不明の「野蛮な霊(悪魔と言うべきか)」を呼び出す危険な書物であると告発を受けている。トリテミウス自身も、この時期に世に広まりつつあった「ファウスト博士」の噂について、数学者ヨハネス・ヴィルドゥングへの1507年付書簡の中で、彼を「放浪者、大言壮語家、ならず者」であると酷評しているが、皮肉にも自身も同時期に類似の黒魔術嫌疑にさらされていた。

1506年、シュポンハイムを離れ、ヴュルツブルクの聖ヤコブ修道院長に転じた。1516年、同地で死去した。

各伝統における意味

暗号術と魔術の境界

『ステガノグラフィア』は全3巻から成り、第1巻・第2巻は精霊による通信という体裁のもとに具体的な暗号技法を記した書物であることが、1606年の刊行とほぼ同時に解読鍵の公開によって判明した。より難解な第3巻についても、1998年に数学者ジム・リーズが埋め込まれた暗号を解読し、これもまた魔術的記述を隠れ蓑とした暗号通信の体系であることが実証されている(詳細は暗号術を参照)。もっとも、トリテミウス自身がこの魔術的体裁をどこまで本気の宗教的実践として捉えていたのかについては、研究者の間でなお解釈が分かれている。1518年には、魔術的な体裁を取らない純粋な暗号術の教本『ポリグラフィア(Polygraphia)』を著し、西洋暗号学の最初期の体系書の一つを残した。

アグリッパとパラケルススの師として

1509年から1510年にかけての冬、若きハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ(ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ)はヴュルツブルクの聖ヤコブ修道院にトリテミウスを訪ね、数日間にわたり自然魔術をめぐる議論を交わした。この面会の直後、アグリッパは主著『オカルト哲学三巻書』の草稿を完成させ、トリテミウスに献呈している(草稿は1510年4月8日頃に受け取られたとされる)。トリテミウスはアグリッパに対し、オカルト研究の内容をみだりに公にしないよう助言したと伝えられる。

パラケルスス(パラケルスス)についても、シュポンハイムまたはヴュルツブルクでトリテミウスのもとで化学的研究の手ほどきを受けたとする史料上の伝承がある。ただし、パラケルスス自身は生涯を通じて正規の学問的師弟関係にほとんど属さなかった人物であり、この師事の具体的な期間や実態については史料上必ずしも明確でなく、断定的に扱うべきではない点に留意が必要である。

現代文化

『ステガノグラフィア』は長らく解読不能の魔術書として神秘化され、後世のオカルト愛好家の間で伝説的な扱いを受けてきたが、1998年の第3巻の暗号解読を経て、現在ではむしろ西洋暗号学史上の画期的な達成として、数学史・暗号学史の文脈で再評価されている。

関連ノード

参考文献

関連ノード(発見の質でグループ化)

隣接の発見