概要
モーシェ・デ・レオン(Moses ben Shem-Tov de León、1240年頃-1305年)は、13世紀スペインのカバリスト。カバラの中心文献『ゾーハル』(『ゾーハル』)を1280年代から各地に流布させた人物であり、近代以降の学術研究においては、2世紀の律法学者シモン・バル・ヨハイに仮託されたこの文献の実質的な主要書き手であったとする見解が有力とされている。ただし、単独著者説かサークル(集団)著者説かという著者問題自体、現在も研究者の間で議論が続く未解決の論点である。
歴史
1240年頃、スペインのレオンで生まれたとされる(生年・出生地についても確定的な史料はなく、推定の域を出ない)。1290年頃までグアダラハラに在住した後、各地を転々とし、晩年はアビラに定住したとみられる。1280年代、彼は『ゾーハル』の写本を、2世紀のガリラヤの律法学者シモン・バル・ヨハイ(ラビ・アキバの高弟の一人で、伝説ではローマ当局の弾圧を逃れて息子と共に洞窟に13年間隠れ住んだと伝えられる人物)の教えを伝える古代文書であるとして、カバラを学ぶ同輩たちに流布させ始めた。
1305年、アレバロにて没した。彼の死後、生前に「原本」の存在を主張していた「ゾーハル」の写本を高値で買い取ろうとした人物に対し、その未亡人が原本など存在せず夫モーシェ自身がこれを書いたのだと証言したという逸話が伝えられており、20世紀の学者ゲルショム・ショーレムによる文献学的研究(言語的特徴・後代の思想への依拠関係の分析)と合わせて、デ・レオン単独著者説の主要な根拠とされてきた。ただし、この未亡人の証言自体は伝聞に基づくものであり、史料的な確実性には限界がある点に留意が必要である。2000年代以降の研究(イェフダ・リーベス、モシェ・イデルらによる)では、デ・レオン一人による単独執筆ではなく、彼を中心とする神秘家の集団(サークル)による共同的な成立過程を想定する説も有力に提示されており、著者問題そのものが現在も決着していない研究上の論点である。
各伝統における意味
カバラ
モーシェ・デ・レオン自身は『ゾーハル』以外にも、ヘブライ語で『石榴の書(セフェル・ハ・リンモン)』をはじめとする複数の著作を残しており、これらの著作に見られる文体・用語法が『ゾーハル』のアラム語文体と近縁性を示すことが、彼の著者性を支持する言語学的根拠の一つとなっている。彼が『ゾーハル』を2世紀の古代文書として仮託した動機については、当時スペインのユダヤ人社会に広がりつつあった合理主義的傾向に対抗し、神秘主義的な聖書解釈により大きな権威を付与する意図があったと解釈されている。
関連ノード
- 『ゾーハル』 — デ・レオンが1280年代から流布させた、カバラの中心文献
参考文献
- Gershom Scholem, Major Trends in Jewish Mysticism, Schocken Books, 1941. — デ・レオン単独著者説を含むユダヤ神秘主義史研究の古典的基礎文献
- Yehuda Liebes, Studies in the Zohar, trans. Arnold Schwartz, Stephanie Nakache, and Penina Peli, SUNY Press, 1993. — 単独著者説に異議を唱え、デ・レオンを中心とするサークル説を提示する研究
- Daniel C. Matt (trans.), The Zohar: Pritzker Edition, vol. 1, Stanford University Press, 2004. — 『ゾーハル』の標準的英訳・注釈版(訳者解説にデ・レオンの著者性に関する議論を含む)