概要
ジョゼファン・ペラダン(Joséphin Péladan、1858年-1918年)は、フランスの小説家・オカルティスト。19世紀末パリのオカルト復興運動と象徴主義(象徴主義)美術運動の双方に深く関わった人物で、自ら主宰した「サロン・ド・ラ・ローズクロワ」(1892年-1897年)を通じて、象徴主義絵画を公開する一大拠点を築いたことで知られる。
語源
自ら「サール(Sâr)」という、古代アッシリア・バビロニアの王侯・祭司の称号を称したとされる敬称を名乗り、「サール・ペラダン」を名乗った。出生名はジョゼフ・ペラダンで、より神秘的な響きを持つ「ジョゼファン」を自称した。
歴史
リヨンの、カトリック神秘主義とオカルティズムへの関心が強い家庭に生まれた(兄アドリアン・ペラダンもオカルト思想に傾倒していた)。パリに出て文学・オカルト・サークルの中心人物の一人となり、1888年にパピュス(パピュス)らとともに「カバラ的薔薇十字教団(Ordre Kabbalistique de la Rose-Croix)」を共同設立した。しかし薔薇十字思想とカトリック正統教義との関係を巡ってパピュスと対立し、1890年に袂を分かって、独自の「カトリック的薔薇十字教団(Ordre de la Rose-Croix Catholique et Esthétique, du Temple et du Graal)」を興した。この教団を通じて、1892年から1897年にかけて計6回の「サロン・ド・ラ・ローズクロワ」を主催し、写実的・歴史的・軍事的・同時代的な主題を明確に排除し、寓意・神話・宗教的神秘主義を扱う作品のみを出品対象とする独自の規約のもとに、当時の象徴主義絵画の一大公開の場を作り上げた。
各伝統における意味
薔薇十字運動内部での分裂
パピュスとの対立とそれに続く独自教団の設立は、19世紀末の薔薇十字系諸団体が、17世紀の匿名文書との直接的な継承関係を持たず、個々人の思想的対立や個性を反映して次々と分裂・乱立していった状況を象徴する事例として位置づけられる。
象徴主義美術運動への貢献
サロン・ド・ラ・ローズクロワは、印象派とは対照的な理念を掲げる象徴主義絵画の公開の場として機能し、この潮流が印象派から独立した公的な現象として一般に認知される上で大きな役割を果たした。ペラダン自身は画家ではなく、あくまで理念の提唱者・興行の組織者であった。
研究者の見解
美術史研究者は、ペラダン自身の風変わりな人物像(自称称号や独特の衣装で知られ、同時代人からしばしば揶揄の対象ともなった)とは別に、サロン・ド・ラ・ローズクロワが象徴主義絵画の公的な可視化に果たした組織的な貢献を評価する立場を取る。
美術
サロン・ド・ラ・ローズクロワを通じて多数の象徴主義画家の作品を紹介した。
文学
全20巻を超える大河小説『ラテンの衰退(La Décadence latine)』をはじめ、多数の小説を執筆した。
関連ノード
参考文献
- Christophe Beaufils, Joséphin Péladan (1858-1918): Biographie critique d’un précurseur de la modernité, Éditions Comp’Act, 2003. — ペラダン研究の標準的伝記
- Rodolphe Rapetti, Symbolism, Flammarion, 2005. — サロン・ド・ラ・ローズクロワと象徴主義美術との関係を扱う概説書