概要
シェモート(Shemot、ヘブライ語で「諸々の名」の意、単数形シェム)は、カバラにおいて神の御名・天使の名を用いる実践全般を指すカテゴリー概念である。護符の作成、瞑想における御名の観想、御名の組み合わせによる祈祷(イフーディーム)など、実践カバラ(カバラー・マアシット)の中核をなす分野の一つであり、72の御名からなるシェム・ハ=メフォラシュはこのカテゴリーに属する著名な一事例にすぎない。両者は密接に関係するが同一ではなく、シェモートは御名を用いる実践という分野全体を指す包括概念、シェム・ハ=メフォラシュはその中の特定の72文字体系を指す個別概念として区別される。
語源
「シェム」(שם)は単に「名」を意味する一般語であり、複数形「シェモート」も特別な固有名詞ではなく「諸々の名」という普通名詞に由来する。なお、旧約聖書「出エジプト記」のヘブライ語書名も、その冒頭句「ヴェエレ・シェモート(これらは名である)」から「シェモート」と呼ばれるが、これは書名としての同音異義であり、本項の「御名の実践」というカバラ用語とは別の用法である点に留意が必要である。
歴史
神の御名を神聖視し、その力を実践に用いるという発想自体は古代のユダヤ教文献にも断片的に見られるが、これを理論的なカバラ(カバラー・イユニット)から区別された独立の分野として明確に位置づけたのは、14世紀初頭以降のカバラ文献においてであるとされる。これは、マイモニデスによる哲学の「思弁的」「実践的」の区分を、カバラの分野区分に転用したものと考えられている。中世後期以降、御名を専門的に扱う実践者は「バアル・シェム(御名の主)」と呼ばれ、護符の作成や治療、悪霊祓いなどに従事した。近世には、モーゼス・ザクトの『諸々の名の根源(ショルシェイ・ハ=シェモート)』のように、諸々の御名とその由来・効力を網羅的に集成した文献も編まれた。
各伝統における意味
カバラ(実践カバラ)
シェモートは、神の超越性を理論的に論じる理論カバラとは異なり、御名という具体的な文字列そのものに神の力が内在するという前提のもと、その力を祈祷・護符・瞑想を通じて引き出そうとする実践の総体である。16世紀のルリア・カバラ(イツハク・ルリア、イツハク・ルリア)では、御名の文字を特定の組み合わせで観想する「イフーディーム(合一の瞑想)」が体系化され、シェモートの伝統がカバラ的瞑想実践の中核技法として大きく発展した。
なお、ゲマトリア(ゲマトリア)・ノタリコン(ノタリコン)・テムラー(テムラー/ツェルフ)が聖典の文字を操作して隠された意味を読み解く「解釈技法」であるのに対し、シェモートは御名そのものを実践的な力の源泉として用いる「実践」であり、両者は文字を扱う点で親和的だが目的を異にする。
関連ノード
- シェム・ハ=メフォラシュ — シェモートというカテゴリーに属する著名な72文字の御名体系
- カバラ — シェモートが実践される伝統全体
- イツハク・ルリア — 御名を用いる瞑想技法(イフーディーム)を体系化した人物
- ゲマトリア — 文字操作技法として近接するが目的の異なる分野
参考文献
- Joshua Trachtenberg, Jewish Magic and Superstition: A Study in Folk Religion, Behrman’s Jewish Book House, 1939. — ユダヤ教における御名の実践・護符の伝統を扱う古典的研究(2004年University of Pennsylvania Press版に序文をモシェ・イデルが寄稿)
- J. H. Chajes, “‘Practical Kabbalah’ and the Jewish Tradition of Magic,” Aries: Journal for the Study of Western Esotericism, vol. 19, no. 1, 2019, pp. 38-82. — 実践カバラと御名の実践を史学的に位置づける近年の学術論文
- Gershom Scholem, Kabbalah, Keter Publishing House, 1974. — 理論カバラと実践カバラの区分、御名の実践全般を扱う基礎文献