概要
「知恵」は西洋思想において肯定的な徳目であると同時に、『創世記』の文脈では「禁じられた知」として両義的に扱われてきた概念である。この両義性は蛇(蛇)の象徴的両義性と分かちがたく結びついている。
語源
英語 wisdom は古英語 wīsdōm(wīs「賢い」+ dōm「状態・判断」)に由来する。ヘブライ語聖書では חָכְמָה(ホクマー)が対応語で、実践的な思慮分別を含意する語である。
歴史
古代近東文化圏には「知恵文学」と呼ばれるジャンルが広く存在し(エジプトの教訓文学、メソポタミアの格言集など)、旧約聖書の箴言・伝道の書・ヨブ記(ヨブ記)もこの地域的文脈の中に位置づけられる。
各伝統における意味
ユダヤ教・キリスト教
『創世記』2〜3章の「善悪の知識の木」(創世記)は、知恵を得ることが同時に楽園追放という代償を伴う、逆説的な形で提示される。蛇は「園のどの獣よりも賢く(狡猾に)」(創世記3章1節)描かれ、知恵と狡猾さという二つの含意を一つの語に重ねている。
ヘルメス思想
ヘルメス思想における「グノーシス(霊知)」は、単なる知的理解ではなく救済に至る直観的知を指す独自の概念であり、聖書的「知恵」とは系譜も意味も異なる点に注意が必要。
哲学
古代ギリシャ哲学における知恵(ソフィア、σοφία)は理性的探求の徳として扱われ、聖書的文脈における「禁じられた知」としての知恵とは異なる系譜を持つ。両者を混同しないことが重要。
関連ノード
- 創世記 — 善悪の知識の木の逸話
- 蛇 — 知恵と狡猾さを兼ねる存在として描かれる
- コクマー — 同じ「知恵」を意味するセフィラ(別系統の伝統である点に注意)
- ヨブ記 — 知恵文学というジャンルを共有する文献
- ソロモン王 — 知恵を象徴する伝統的な人物
生命の木から見た整理(任意)
本項は本プロジェクト独自の整理モデルであり、歴史的事実の記述ではない。生命の木の第2セフィラ「コクマー」も「知恵」を意味するが、これは旧約聖書の知恵文学(本項が扱う「知恵」)とは別系統のカバラの概念であり、語が同じであることをもって歴史的に同一の思想とみなしてはならない。
参考文献
- Elaine Pagels, Adam, Eve, and the Serpent, Random House, 1988. — 楽園追放神話の受容史を扱う標準的学術研究
- James L. Kugel, The Bible As It Was, Harvard University Press, 1997. — 聖書物語の古代における解釈史を扱う学術研究