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ヤン・バプティスタ・ファン・ヘルモント


視点: 錬金術 / ヘルメス思想 / 歴史
テーマ: 錬金術

概要

ヤン・バプティスタ・ファン・ヘルモント(Jan Baptist van Helmont、1580年-1644年)は、ブリュッセル出身のフランドルの化学者・生理学者・医師。パラケルススが提唱した「アルケウス」概念をより精緻な体系へと発展させたイアトロケミー(医療化学)の代表的論客であり、「ガス(gas)」という語を初めて用いた人物としても知られる。晩年には自著の一節が異端審問所によって断罪され、長期の軟禁生活を強いられた。

ゲオルク・パウル・ブッシュによるヤン・バプティスタ・ファン・ヘルモントの肖像版画(1721年)
ゲオルク・パウル・ブッシュ『ヤン・バプティスタ・ファン・ヘルモント肖像』(エッチング、1721年、『Acta Medicorum Berolinensium』所収、リイクス博物館蔵)。Public domain, via Wikimedia Commons

歴史

ブリュッセルの貴族の家に生まれ、ルーヴァン大学で哲学・医学を修めた。既存の大学医学(ガレノス医学)の権威に飽き足らず、パラケルスス(パラケルスス)の思想に強い影響を受けて独自の化学的医療研究に没頭した。1621年、負傷の原因となった武器そのものに軟膏を塗ることで傷を遠隔的に治療できるとする、当時論争を呼んでいた「武器軟膏(weapon salve)」療法を擁護する論考『傷の磁気的治療について(De Magnetica Vulnerum Curatione)』を発表した。この著作はイエズス会神学者ジャン・ロベルティらから、パラケルスス主義に通じる異端的な魔術思想であるとしてスペイン異端審問所に告発され、1625年、同書中の27の命題が異端的として断罪された。1627年から1630年にかけて複数回の尋問を受けた末、1634年には投獄され、まもなく義母イサベラ・ファン・ハルマーレの尽力により自宅軟禁へと減軽されたが、この軟禁生活は合計28か月に及び、心身に大きな負担を残した。1644年、ヴィルヴォールデで死去。生前に刊行した著作は限られていたが、死後、息子フランシスクス・メルクリウス・ファン・ヘルモントの手により、思想を集大成した論文集『医学の起源(Ortus Medicinae)』が1648年に刊行された。

各伝統における意味

アルケウス論の発展

パラケルススが提示した「内なる錬金術師」としてのアルケウス(アルケウス)概念を、ファン・ヘルモントは『医学の起源』の中でさらに精緻化した。生命体の各器官にはそれぞれ固有の下位アルケウスが宿り、これらを中枢的なアルケウス(アルケウス・インフルス)が統括するという階層モデルを提示し、疾病を外部から直接攻撃するのではなく、乱されたアルケウス自身が正常な働きを取り戻せるよう助けることを治療の目標に据えた。一方で、パラケルススの硫黄・水銀・塩の三原質説を物質の先在原理とみなす立場には批判的であった。

イアトロケミー(キミアトリア)の推進

疾病を化学的に調製した薬剤で治療しようとする医療化学の潮流(キミアトリア、キミアトリア)を、パラケルスス以後の世代として大きく前進させた人物の一人である。実験による検証を重視する姿勢は、後の近代化学の形成に影響を与えたと評価される一方、アルケウス論自体は思弁的な生命論の域を出るものではなく、近代的な化学理論とは区別して理解する必要がある。

「ガス」の命名と気体化学への貢献

木炭の燃焼やブドウ果汁の発酵から生じる「野生の精気」が同一の物質(現在の二酸化炭素に相当)であることを見出し、これを指す語として「カオス(chaos)」に由来する造語「ガス(gas)」を初めて用いた。この功績から、後世「気体化学(プネウマティック・ケミストリー)の創始者」と評されることがある。ただし、この呼称はファン・ヘルモント自身の自己認識というより、後代の科学史家による評価であることには留意が必要である。

現代文化

ファン・ヘルモントが行ったとされる「柳の木の実験」(土だけを与えて育てた柳の木の増加重量のほとんどが水に由来すると結論づけた5年間の実験)は、定量的な実験手法の先駆例として、今日でも科学史の教科書でしばしば紹介される。

関連ノード

参考文献

関連ノード(発見の質でグループ化)

由来の発見

隣接の発見