概要
サタン(ヘブライ語: הַשָּׂטָן ハッサタン、「告発者・敵対者」の意)は、聖書における最も成立史の複雑な存在の一つ。最古層の用法では固有名詞ではなく役職・機能を表す普通名詞であり、後代のユダヤ教・キリスト教の展開の中で徐々に「悪の権化」としての固有名詞的存在へと発展した。
語源
ヘブライ語 שָׂטָן(サタン)は「敵対する・告発する」を意味する動詞に由来する普通名詞。
歴史
旧約聖書ヨブ記・ゼカリヤ書における「サタン」は、定冠詞付きの普通名詞「ハッサタン(その告発者)」として登場し、神の御前会議に連なり人間を試し・告発する役割を持つ、神に敵対する独立した悪の勢力ではない。歴代誌上21章では定冠詞なしの用例も見られ、成立年代の異なる層による用法の違いが指摘される。第二神殿期(紀元前2世紀頃以降)のユダヤ教黙示文学、およびクムラン文書(死海文書)の中で、サタンは徐々に神と対立する独立した悪の指導者としての性格を強めていったとされる。
各伝統における意味
ヨブ記・ゼカリヤ書(最古層)
神の御前会議のメンバーの一人として、人間(ヨブ記では義人ヨブ)の信仰を試すために神の許可を得て行動する「告発者」の役職。神と敵対する存在ではなく、むしろ神の秩序の内部にいる機能的な存在として描かれる。
新約聖書・後代のキリスト教神学
新約聖書では悪の指導者、人間を誘惑し神に敵対する独立した存在としての性格が確立する。後代の神学的発展の中で、蛇(蛇、創世記3章)やルシファー(ルシファー、イザヤ書14章)と同一視され、「堕天使サタン=ルシファー=エデンの蛇」という統合された物語が形成された。この三者の同一視はいずれも聖書本文が直接主張するものではなく、後世の教義的解釈の積み重ねである点を、本プロジェクトでは明確に区別する。キリスト教圏の一部の文脈では、両義的な天使サマエル(サマエル)とも同一視されることがあるが、これも元来別個の伝承である。
関連ノード
- 蛇 — 後代に同一視された存在
- ルシファー — 後代に同一視された存在
- 堕天使 — 反逆の物語における中心人物としての同一視先
- サマエル — 後代に同一視されることがある存在(別系統の伝承)
- ヨハネの黙示録 — 「天における戦い」の記述が接続される一次資料
- ヨブ記 — 神に対しヨブを試す提案を行う存在として登場する文書
- 創世記 — 蛇との明示的同一視はされていないが後代に結び付けられた文書
- ベルゼブブ — しばしば同一視・混同される存在
- ベリアル — 死海文書で並置・同一視される存在
参考文献
- Jeffrey Burton Russell, The Devil: Perceptions of Evil from Antiquity to Primitive Christianity, Cornell University Press, 1977. — 悪魔観念の成立史を扱う標準的学術研究
- Jeffrey Burton Russell, Satan: The Early Christian Tradition, Cornell University Press, 1981. — 初期キリスト教における悪魔論の展開を扱う続編
- Henry Ansgar Kelly, Satan: A Biography, Cambridge University Press, 2006. — サタン概念の成立史に関する近年の学術研究